「激しく愛しすぎる」ということ

愛する気持ちは、激しすぎると愛ではなく別のものに変わってしまいます。

 

本来、「愛」は穏やかで激性がなく静かで優しく存在しています。

「すぎる」ことによって、激性が生じます。

激性が生じることで、愛は「憎しみ」に変わります。

 

人を憎む気持ちの材料は「愛」です。

そして、人を憎むには大きな情熱が必要です。

情熱なくして憎しみは続きません。

人を憎む気持ちは、とても純粋な気持ちです。

なぜ純粋なのでしょうか?

 

それは、他人の手垢が付いていない、自分だけのエゴからわき上がっているからです。

 

「愛する」ということは、今まで多くの人が語ってきました。

そして、みな人が語る愛を自分の愛として受け入れてきました。

 

「憎しみ」について、人は語りません。

誰も人を憎む方法など語りはしないのです。

だからこそ、自分に芽生えた憎しみは、純粋な自分の気持ちです。

 

純粋な自分の気持ちで人を憎むことが出来る人は、純粋な自分の気持ちで人を愛することができます。

 

なぜなら、憎しみの材料は「愛」だからです。

憎しみから愛を抽出したい場合は、「激性」を沈めればいいのです。

 

憎しみが持つ「激性」に出来るだけ穏やかに気持ちを向けてください。

何が自分を激しくさせているのか、冷静に意識を向けるのです。

すると、激性に焼かれていたココロが少しずつ少しずつ癒やされてきます。

癒やされてくると「愛」の存在に気がつきます。

 

激性があまりに大きい場合は、誰か信頼できる方に消火活動を手伝ってもらってください。

誰も山火事を一人で消火する人はいないでしょう。

適切な援助を受けることで、ココロのダメージが少なくなりますよ(*^^*)